目まぐるしい春

日増しに長くなる日差しの明るさやあっという間に咲いては散った桜、それらと裏腹の冷え込みに、いつまでも同じ服を着続けながら仕事を抱えてあちこちへ旅し、たくさんの人に会い、目まぐるしく春は過ぎた。

よりよく生きようとして、わたし自身の環境を変える試みはしたが、結局ほとんど実行しなかった。環境を変えるより、様々な現実を知り、心境が変化した。本質的には、わたしの心の生活が変わらなければ、仕事場や生活の場や人間関係などの環境を変えても、わたしの人生は変わらないと思った。それに、欲が多すぎると反省した。いい仕事をしておいしいもの食べて、気もちよく生きたい。

淡々と着実に良い仕事と生活を積み上げたい。そんな渋い心境だ。
しばらく経ったら、もう少しジャンプ(向上心や出世とかではなく)するために、貯めを作りたい。

ここ数カ月、東京や地方で様々な業界で働く人々、今の会社の他の部署の人々、日本あちこちのいろんな人に会って話したり、仕事する機会があった。心に気にかかっていた福島にも行けた。あいかわらず、たくさんの迷惑をかけトラブル(?)を起こしたことと思うが、面白く、関わったことに感謝している。
いろんなことを聞けたし、話せた。色んなことを知った。
今ひとり。
今ひとりでいることを大切にしたい。
ひとりで立つことを大切にしたい。

時には、こどもっぽくて、笑ってしまうような、ささいな、だけど純粋な気もちを抱えていよう。
個人的な、感情的な、感覚的な、非合理的にも思える、ことを、大事にしよう。

もっとおとなになりたい。生きやすくしたい。

※5月ごろに書きました。タイムラグあるけど、今ごろアップ。なんか、いいこと書いてるなぁ。

どきどき

どきどきするね。あいかわらずだね。
積み重ねてきたものがあるゆえにね。
それは苦労した自負心だね。どや顔で…失礼。
ひととひとが合意形成するエネルギーすごいね。パワーを感じる。ひとはつよくてやさしい。またひとを信じれる。

結論が出るまで、不安だったね。あいかわらずだね。
最近は、「ダメ」「おわり」が口ぐせだった。

人生が動く瞬間。
何度目かの。

すこしのさみしさと、未来への希望と不安と。やわらかく、優しい気持ちだ。
何度目かでわたしがもう確信しているのは、人生は自分で切り拓けるということ。それはそれは傷つくし、苦労はする。でも扉があったら、たたいてみるんだ。
これからも、大泣きしたり落ち込んだりするんだろうけど、あきらめたり守りに入るにはまだはやいでしょう。
前よりすこしは成長してるのかな。
すこしずつでも前に進んでいるのかな。
「これはわたしがやらなきゃいけないんだ」と思った時強くなる。「ここで力を尽くせば、もっといいものができるんだ」と思うと、努力できる。

ダメダメに落ちこんでも芯は強く、太く。

「もっといいものをつくるんだ」「もっといい世界をつくるんだ」
そういう思いに突き動かされ突っ走れ。
またちょっとずつ歩いていこう。

初夏

生のにんじんをポリポリ。
生のきゅうりをポリポリ。
夏です。

夕方になると涼しいです。
浴衣でも着たくなりますね。

先日帰った田舎では、夜はかえるの大合唱。
はやく実現したい。
仕事をやめて田舎に帰る日。
いつか帰る日。

それまでは、みっともなくても、都会で仕事をして、いろいろなものを見て、いろいろな人に会う期間なのだね。
迷惑もたくさん掛けてしまっているけど、どうか広い心で。
自分が誰でどんな人かわかりたい。

パワースポットへ

ガタゴトガタゴト、ローカル線にゆられ、新緑のうつくしさの中、パワースポットへ行った。
言語化できないすごいパワーをもらって帰ってきた。

お金で解決できることと、できないことがあって、できないことの解決は本当にむずかしい。
人間関係の問題とか。
お金で解決できる問題か、そうでないかを区別するって重要なんだな。

あと、戦争体験の話を聞くと、問題のスケール感がぜんぜんちがって見える。
本当に人間のいやな面を見たんだと思う。
わたしはいつもすごいミクロなスケールで問題を問題視しているんだと思わされた。
戦争や、お金で解決できない難しい人間関係の問題とかにくらべたら、自分の課題なんて、ほんと社会のシミにもならない、ささいな問題だから、落ちこむことないんだと実感できた。
いつも地獄の果てまで落ち込みそうな気持ちになることが多いのだけど、まじめに努力する限りにおいて、全く問題ではないよね。
落ち込むに値しないんだね。

修羅場くぐってきている人に相談すると、問題を多面的にとらえられるね。

あと、優しさがとても大事。
厳しさと優しさを区別して、バランスをとること。
アメとムチだね。
優しい目線や愛が、問題を問題だと思わせなくしたり、解決するんだろうな。
米原万里さんの目線もそれに通ずるようにわたしは思ってる。

パワーがなくなったら、また行こう。
そんな場所があるって、ほんとうに幸せ。

一皮むけろ

自信をなくした28歳はいたいたしいなりに。
それでも前へすすんでいくしかない。
ああ、ざつな言い方だ。
でも、変だな、足は地についてるし、手はこうして
キーボードをまちがいなくたたいてくれるのに。

ポテチでも食べよう。
としてたら、先週末呑み残したワインを飲んでいる。

いまひとつ、わからなくて。
こまって、たちどまってしまう。
もくひょうにむかって努力するというやつに、まよわされる。
儀式のように、みなとおなじじかん、ひとつのばしょへいき、ひとつのゴールにむかって
活動することが、だいじだと思うふりをしていただけだった2年半。
はずかしさに気づいた。
覚悟をわたしはもててなかった。

こまかい、自分だけの個人的なゴールがある。
人生で、自分や自分にとって大切なひとがいちばんこまったときに、
ちゃんと、ていねいに、たすけあえるように。

京都にて

京都にて

 からりと晴れた透明な空の下、遠く北の山は白く、まぶしい光が反射する鴨川デルタの亀の上でしゃがみ、わたしは友を待った。跳び石を、ひとつひとつスニーカーではね跳び再び出会った友は、見上げれば風邪をおしても笑顔だった。

 スマートフォンのタッチパネルを指で擦りGoogle mapを開くと、今朝友達と借りたレンタカーで出発するとき わたしがいた場所・新宿を示した地図の画面から、一気に遷移し、GPSは京都を指した。その瞬間、このからだごとひとっ飛び。2年前までのわたしの日常のいまへと時空を翔けて、ついに自分が京都にいることの実感と喜びが込み上げた。

 東京の暮らしは、当初 気がおかしくなりそうなほど、いつも早く京都に帰りたかった。生活のため心を動かし、体を動かし、ここからどこかへと体を運び、隠れたり逃げたりとにかくやり過ごしなじんだ。わたしは、東京のことを知らない。京都にいるときの、からだが無意識に にやけてそこにおることは、なかなかできないけど、東京での逃げ足はしたたかに、速くなった。

 でも、あきらかにわたしは前のわたしとはちがったし、友だちも前の友だちとはちがった。それはほんとうに面白いことだと思った。京都で生活していた時もそこまで頻繁に会おうとして会わない。会う頻度は京都で暮らしていた時と今とくらべると逆に増えた。でも、会うとやっぱりひさしぶりな気がする。場所がちがうだけで会わない時間の質のようなものがこんなにもちがうこと、会った時のその瞬間瞬間の切実さがこんなにもちがうこと。同じ空間にいて同じ空気を吸って食べたり喋ったり笑ったり、会うということがとてもリアルで生々しい。

繋がる手段は電話やインターネット、たくさんあるけど、いまのわたしに通信手段は「わたしたちは繋がっている」というよりも、「いまここでわたしたちは出会っていない」ということをリアルに感じさせる。

終わりなき日常よりも、非日常での方が、より切実さやリアルさ、生々しさを感じるねじれのなかにいる。

いまここにないものを頭の中に像として投影して、喜んだり悲しんだり。日々、パソコンの画面を見て過ごしていると、いまやここ、わたしという実感でさえ、自分から遠くなって、未来のことやつまらない問題ばかり心配している。いまのわたしの一日の暮らしのほとんどは、未来への準備だ。いまここにいることには生きるリアルが希薄だけど、かといって、かがやく未来へ行進している気もしない。意識や感性を開かなければ、生きている感覚が薄れていく。それが東京のわたしだった。

いまここにわたしがいることを、教えてくれたのは、いまここにあなたがいないことを教えてくれたスマートフォンで、これをもって設定しないと会えないわたしたちは、それでもどこかで繋がっているらしくて、いつかあなたに会いたい、といまここでつたない生命感のなかで、思ってるんだと、思う。そのことだけは、大事にしたい。

ひんやりとした冬の空気を、また一緒に吸おう。

世界の色彩

「社会の規範やシステムなんか関係ない、わたしはわたし!他人にどう見られたって気にしない!」と思い、おろかに強情に生きようとしてきた時代が、わたしは長かったため、多くの男女は出会い、結婚し、家庭を築いてきたという社会の歴史が、この年齢になって今さら重い。多くの男女が出会い結婚する妙齢に差し掛かると、異性との出会いや会話や遊びは、無色透明な関係性からは始まらない。社会の歴史的な男女の関係性の色合いに、どんな男女の関係性も濃淡の差こそあれ染められ、こちらはなにも考えずゼロな気持ちで会っているつもりなら、社会や世間に言い訳をするために、染められた色を消そうとするが、よっぽど強い漂白剤でもなければ、その色は消せない。

休日の午後、本を物色し購入した後、ひとりでカフェのカウンターで一息ついていたら、隣の男女二人組の会話が聞こえてきた。彼らはわたしと同年代に見えた。女が男に会社での知人の結婚や昇進の話をすると、男は話がわからない、整理して話してという風に言った。女が伝えたいのは事実だけではなく、その事実を受け自分が感じる不安や懸念が混じっていた。むしろ、女がしていたのは、事実の伝達でなく感情の処理だったように思う。ひとは、自分の感じている世界を伝えたいし、それを共有し、相手の世界観を知り、できれば同じ世界を生きたいと思う生きものだろう。事実と感情を混ぜた論理的でない話をして、男に訂正を求められる女の会話を聞き、男の世界の言葉で話さなくてはならない女の悲しさを思った。その世界を構築する言葉がなければ、その世界はないことになってしまう。でも、その世界を構築する言葉がまだ十分に開発されていない現状では、男の世界の言葉ででしか女の世界は構築できない不完全さをもつ。男の世界の言葉の枠に絡めとられる不自由さの中で、女は世界を構築していかなくてはならない。

誰もが固有の、複数の世界を生きながらも、それを他者と共有するとき既存の枠組みの中でしかその世界を構築できない不自由さを生きている。言葉や身振りやアートなどの、世界を他者と共有する方法は、不完全で不十分で脆弱だし、そもそもひとは弱い。

ひとの弱さを強く思った事件が、最近の兵庫県尼崎の連続死体遺棄事件だった。ひとの家族に介入し崩壊させる、強い磁場をもった、社会と断絶したひとつの世界を出現させるひとの弱さを思った。強いのはひとではなく、磁場や気のような力で、それに囚われるからひとは弱い。だから、いろいろなひとの支え合いが要るのだ。

今の社会は、大きな声の男たちが構築してきた世界である部分が、まだまだ多いと思う。その世界と共犯関係をもち同じ色に染まろうとする支え合い方も、賢いし悪くない。一方で、ちがう位相でちがう色合いで世界を彩っていくことも、弱いひとだからこそきっとできて、その世界の多層性の深さや彩りの豊かさを行き交いながら生きることで、弱いひとでも生き延びることができそうだ。