カーニヴァル化する社会
- 作者: 鈴木謙介
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/05/19
- メディア: 新書
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出版されたのは7年前の2005年だが、冒頭から結論まで「なるほど」と思うことが書いてあったので、興味深く通読した。2005年も、今2012年も、若者を取り巻く雇用やメディアの状況は大きくは変わっていないからかもしれない(特に悪さ加減。何か前進があるのなら知ってみたい)。または、私が2005年も2012年もいわゆる若者世代に属しながら経過してきている、特に2010年には新卒一括採用の就職活動も経験したことが、理解や共感に繋がっているのかもしれない。今と本書の出版時期と異なると思うのは、2008年にリーマンショックや派遣切りがあり、今は若者が保守化し大企業正社員を目指して少ない枠を巡り、悲痛な就活に邁進するようになった。そうした新卒採用のあり方に、今の日本社会全体の注目や論点が移動した感覚が個人的にはある。さらに今年2012年はノマドについて語られるのがよく聞かれる。
本書の中で面白いと思ったことを、断片的に挙げると、以下の通り。
・監視社会
・ハイテンションな自己啓発
・自己分析がなぜ苦痛なのか
「やりたいこと」の論理は、短期的でかつ暫定的な、一瞬の盛り上がりによってしか得られない漠然としたもの
その場その場の自分をデータベースに問い合わせる。自己は分断されている。そしてその分断されたままの全体を、宿命的に受け入れなくてはならないものとして受け入れようとしている。→辛い
※2011新卒一括採用向け就活2010を経験したわたしにとって、このパートはとても面白かった。わたしにとっても自己分析は辛かったのだが、それがなぜ辛くなるのか、理論的に解説が試みられている。
・感性と知性(=データベース)を往復
・感性が前面に出てくる→社会のカーニヴァル化(日本のインターネットでよくある”祭り”現象)
・私は私、と断片的な自己を受け入れる(今の自己意識のありかた)
全体を通して、自分の就活実体験もあるからか、社会学門外漢で理系のわたしでも最後まで興味深く読め、社会学の大理論?デリダなど(この辺は今手元に本がなくてうろ覚え)への興味もそこはかとなく湧き、充実した読書体験だった。最近とみに、本を噛み砕きながら読み進む鍛錬を怠りがちで、反省しきり。
最近話題のこの本も読んでみたいとは思っているのだけど、重い腰が上がらなくて。
- 作者: 古市憲寿
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/09/06
- メディア: 単行本
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本当に豊かになるには
これだけ、お金を出せば手に入る、人が人を楽しませよう喜ばせようとするものが、あふれる社会において、豊かになりたかったらどうすればいいか。
お金がある→楽しいもの、喜びが手に入る →豊か
お金がない→楽しいもの、喜びが手に入らない→貧しい
この矢印の流れを変えるには、2段階目の矢印が変わるしかなくて、それには人の考え方が変わらなくてはならない。
でも今は、お金がなくても手に入る、人が人を楽しませよう喜ばせようとするものも、あふれている。
お金がある→お金を出して/出さないで楽しいもの、喜びが手に入る →とても豊か
お金がない→お金を出さないで楽しいもの、喜びが手に入る →豊か
お金を出さなくても手に入る楽しみ/喜びが増えた今に生きる人は、以前より豊かだ。
お金がない人がもっと豊かになるには、お金がなくても手に入る楽しみ/喜びを増やせばいい。
お金がなくても手に入る楽しみ/喜びを増やすには、お金をもらわなくても人を楽しませたり喜ばせたりする効率の良い仕組みを作ればいい。
その仕組みの中の機能を担う技術にITがあるんだろうな。
お金に囚われず、本当に人間らしく生きる時代なのかもな。
瀧本哲史「僕は君たちに武器を配りたい」でも、こんな時代だからこそ本当に人間らしく生きるとは何か考えよ、奴隷の学問(スキルアップのための勉強)ではなく真の教養(リベラルアーツ)を身に付けよ、と書いてあったように思う。
- 作者: 瀧本哲史
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/09/22
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自分という人間らしく生きれば、今本当に豊かになれるのだと思う。
寝ても覚めても
- 作者: 柴崎友香
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2010/09/17
- メディア: 単行本
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好きな部分。
「洋服を買わないと死んでしまう、と思った。こうして正しい形になるために働いているのだから。忙しいとかお金がないとかくだらない理由を言って洋服屋を見に行かなければ、わたしは死んでしまう。」
と引用してみたけれど、ここだけ引用しても全然だめで、前後どころか全てを読まないとだめだ、と気付くのであった。でも、こういう気持ちをはっきりと力強く書いてくれてうれしい。
なのに、もう一発。
「カメラがなければ絶対に見ることができなかった遠い場所を毎日大量に見ていた。それらは素晴らしかったし、カメラがなければ見なくてもよかったものかもしれなかった。」
もう一発。
「このように素晴らしい洋服を作った人に敬意と謝意を表すために、わたしはお金を使うべきだった。そうすることで、きっと世の中はより良い形になっていくと思うから。」
力強い!
大好きだ!
節約のカリスマ・若松美穂の お金をかけない暮らしハッピー・テク
節約のカリスマ・若松美穂の お金をかけない暮らしハッピーテク
- 作者: 若松美穂
- 出版社/メーカー: ベネッセコーポレーション
- 発売日: 2007/03/01
- メディア: 単行本
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特に印象に残った文章・アイディア
「見た目がスッキリきれいだと気分が良くて、つい何度もあけて見るので、ますますきれいにしようと思えます。家も自分の体と同じで、内側からきれいにしておくと気分良く過ごせます。」
「毎日気をつけていること
子どもが眠りにつく時安心して目を閉じられるようにすること
嫌なことがあっても一日を終える時にはスッキリした気持ちになって次の日に向かって欲しい
フォローが大事
突き放さずに 言い訳や謝れる雰囲気を作る」←これはわたしが子供の時親にして欲しかったことかも、と思い、心に残った。後輩などにはこういう風に接したい。
パリ発キッチン物語おしゃべりな台所
- 作者: 主婦と生活社
- 出版社/メーカー: 主婦と生活社
- 発売日: 2007/02
- メディア: 単行本
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取材/インタビュー、文章、構成、とても読み応えがあり、好きな内容だった。
特に良かったポイントは、以下の2点。
・リタイアした後、一人暮らしをする高齢の女性の台所が取材されている
・取材と再構成された本書は、食べるだけでなく、「作る」、「伝える」、といった生きることを豊かにする「食」のあり方を浮かび上がらせている
心に残った文章
「自分が受け継いできたおいしい味の記憶をせっせと再生産して子供たちに伝えていくこと
各地方の持つ多彩な文化がモザイクをなす国フランス。故郷を離れてパリで暮らす人々も、自らを育んだ"マ・レジョン"(私の地方)の味覚への思い入れは深い。フランス料理と一口に言っても、それは結局あらゆる郷土料理の集合体。そして郷土料理とは、つまるところその土地で受け継がれてきた家庭の味に他ならない。
特定の食べ物がブームになって人々がこぞって飛びつくということがない。伝統に対する愛着と揺るぎない誇りがあるから。」
「食卓の快楽は、あらゆる年齢、身分、国のものであり、毎日のものである。食の愉しみは、どんな快楽とも結びつくことができ、それらが失われたあとも最後まで残って私たちの慰めとなる。ブリア・サヴァラン」
「美食とは、毎日の食事を大切に愛しむ姿勢であり、生活術のようなもの。私たちが代々受け継いできたのは、その精神的財産だと思うの」
たぶん、きっと、わすれられない人、と、はたらくことについて。
人間的に尊敬できる人に出会うことは、生きている中でも最上級の幸せだ。
どんなに長時間話しても、その人の核となる部分に話題が向かないと、コミュニケーションは希薄だ。核となる部分を話せたら、それが短時間でも、一生心に残るだろう。核となる部分を話し合えるようになるまでの時間が短い人は、本物のコミュニケーション能力を持つ人である。
出会ってから短時間で、自分の核となる部分を話題とし、心から真剣に対話することができる、そんな人間的に尊敬できる人に、東京から離れた山近く風強い田舎で、わたしは社会人になって以来初めて出会った。
こんな仕事をしていなかったら、到底出会うことがなかったから、この仕事を選んでよかった、とさえ思える。
彼は、学生のころ、田舎でお山の大将だった。勉強もスポーツもできるハンサムな生徒会長で、かわいくて目立ってた女の子と付き合い、大学に行くはずが、18の時彼女が妊娠しできちゃった結婚。それをきっかけに工場で夜勤もしながら働き、持ち前のリーダーシップと観察力、頭の良さで技術者として上に引き上げられようとしていた。こんな人本当にいるんだ、と出会えたことに感動してしまう。いつも人から何かを学ぼうとし、人の良さを引き出そうとする、その優れた人格に刺激を受けた。そんな彼から学んだ大切なことを少し書き出してみた。
〈学んだこと、大切だと気付いたこと〉
・楽観すること
・失敗しても笑って前に進むこと(失敗しても、何かやってみないと先に進まないから)
・学ぶことを続けること(メモをとって、わからない言葉はわかる人に質問すること)
・言うべきことははっきり言うこと
・人の背中を押すこと(人の力を信じること、楽しい気持ちで取り組むこと)
・考えること、指導する時は本人に考えさせること(論理的に考えることはおもしろいし、おもしろさを人に伝えることを大切にすること)
・観察力(いくら頭が良くてもこれがないといい仕事はできない)
・観察した結果何かに気付くこと、つまり「感性」が大事であり、それを意識して行動すること
・しらふで人と気持ちの良いコミュニケーションをすること(飲みニケーションではなくて)
・人を楽しませること
・よく笑うこと
・家族を大切にし、負ける時は負けること(奥さんや娘には「ごめんねー」と負けておく)
以上の本当に大切なことや技術的な考え方や知識をわたしに教えてくれた人が高卒であることは、院卒のわたしにとって驚愕であった。いくら有名大学で学び、頭が良く知識があっても、仕事で使えなくてはだめだし、人に伝えられなければ意味がない。入社して様々なことを学んだけど、彼からの学びが一番深く大きかった。革新的な技術やビジネスは、いろんなキャリアパスの人の力が必要で、いろんな壁を打ち破っていかないといけないのではないかと思った。
信頼できる人から学ぶことはなんて吸収が速いんだろう。こんな幸せな体験は、たとえ一瞬であったとしても一生忘れられない。
わたしは今、自分がこの会社でこの仕事を希望して本当によかったのかな、と悩んでいる。自分の能力や性格に向いているのか、職場の環境は合っているのか。配属時からやる気もあってがんばってきたのに、最近しっくりこない。原因はいろいろある。1年目だからとか、やや感覚で選択してしまったきらいがあるからとか。転勤や出張の多い仕事だ。会う人もさまざま。それが魅力で、希望した仕事だった。環境の変化に慣れなくて、でも楽しいこともあって。雇用され、組織に翻弄される。でも、なんで好きな人と好きな場所で仕事できないんだろ?こんな疑問は子供っぽいとわかってる。マネジメントされる組織に所属するから、我慢しなければならない。でも生身の人間の純粋な願いだと思う。組織に翻弄される人生が当たり前っておかしくないか。国や企業、家族など、個人を縛るものが多すぎると個人の力が委縮してしまう。カズオ・イシグロの「私を離さないで」を最近読んだが、その世界に通じる思いがあり、胸が詰まった。やっぱり自分の働く場を考え直さねばならない。
この土地の、1000mを越す山から吹き下ろす風は、強いというより大きい。広い空間を通過してわたしに届く。晴れた日は三方を囲むような山脈の美しく、夜は星もきれいなこの土地で働き暮らすのは、東京でより精神的に楽だ。京都のこと、自分の小さかったころのこともいろいろ思い出す。人が素朴で食べ物はうまくて、空間は広くて、車は一人一台だ。東京にビジネスの実権は握られ海外との競争にも曝されつつある、ちょっと退屈だけど、でも幸せなユートピア。ここで生きるのも全然ありで、東京も地方もどちらも素晴らしく、どちらで生きる人も稼ぎや職種がどうあれ、幸せに差も無く、仕事への取り組み方や生き方の真剣さにおいて、素晴らしいのだと思う。
こんな人とずっと一緒に働けたらいいな、と思う人だったし、仕事関連で出会ったからこそ刺激を受けることができたのかもしれない。だとすると、モヤモヤした思いを抱えつつも付き合わねばならないこの仕事ってやつには感謝しなければならない。
わたしは働いてまだ1年目で、ずっと同じ会社にいるつもりはない。どんな仕事をしたいのか、とりあえず働いてみて自分の中に仕事選びのフィルターを形成しつつある段階にいる。そんな中、素晴らしいと思える人に出会える仕事、素晴らしいと思える人に出会う確率の高い仕事、というフィルタリングは結構重要度高いのではないか、と思う今日このごろ、もうすぐわたしは、大好きな人たちおいしい食べ物かわいいカフェと雑貨屋素晴らしい自然を後に大好きなこの場所を、去る。
twitter はきらいだ。
あのひとが現れるのをずっと待ちこがれながらタイムラインをながめてる、なんて切なすぎるから、twitter はきらいだ。たまに。
この思いを表現するには字数が少なすぎてもったいなさすぎるから、twitter はきらいだ。たまに。
みながざわざわしてる教室。どこからか、わきあがる笑い声。その中心地。離れてわたしの持ち場に帰ろう。twitter はきらいだ。たまに。
あのときの、あの瞬間だけの、でもときに、なぜか普遍的なわたしの微分がつぶやきに表れる。わたしを越えて、社会やひとの生の微分でもあるかもしれない。それに、なんとなく心とめてくれた人の軌跡をリツイートにみとめるとき。
この世界はすばらしいと思う。