正直さ

友人の個展に行った。
[展覧会情報- 山本奈奈:title]

ひとつの絵にも文脈があり、時代や社会や作者の歴史と繋がりがある。それを想うことで、「今・ここ」と「いつか・どこか」の世界を旅する。

一方で、繋がりを無視して楽しむこともできる。実際に、慌ただしい日々の生産/消費行動の中では、楽しみに求めるものも刹那的な快楽になりやすく、そういった快楽が世に出回りやすい。習慣的に、微分のように微小時間あたりの快楽を測定し、その多寡を吟味して快楽を選ぶ。

刹那的な楽しみ方と並行して、文脈を問い読む姿勢を持つことは、良いことだ。すなわち、人の善を信頼した行為だ。なぜなら、その姿勢に引き続く行動こそ、誤りを繰り返さないように計画し行動することに繋がりうるから。微小時間あたりの楽しみはわずかでも、時間をかけるとその積分値は、次の行動に繋がる。

人は、誤るけれども、正直であれば誤りに気付き、それを正すことができる。自分が知らないということを知っている、認められる人は、正直だ。だが悲しいことに、日々の社会生活の中では、正直さをむき出しにすることは賢い方法ではないとされる。本当は、愚か者とはすなわち賢者のことなのだ。

ひとつの本、ひとつの絵の前では正直でありたい。そのあり方はきっと、精神に時空を超えさせる自由を持つから。