雨の降り出し

 見上げると、灰色のふくらみのちいさなもの、大きなかたまり、それぞれ流れながら成長してもこもこと重なり、空全体に広がって、厚みが増していく。もうすぐ来るな、と胸にひろがる。地面ちかくの大気は水分をふくんで皮膚に重く、かすかなにおいがたちこめ、わたしはあたりに生きものの気配を感じる。むやみやたらと脳が発達した人間だから五感はそうとう鈍っているし、重力にさからえないわたしは、地面にかぎりなくちかくにて、もぞもぞと暮らしている。地をはいつくばって生きるのだ。そんなこと、今思い出さなくていい。空気は、雰囲気は、この空間はたえず流れ、動いている。生きている。もうすぐ、生まれるんだから。

 こらえきれずに、あふれてきた。漏れてきた。水滴の粒と粒がぶつかる音だろうか。ひと時の音楽を聞いて、わたしの体は皮膚からなかへと、ふわっとする。浮きたつ。いったん、たがが外れると、水は流れ出した。においも雰囲気もあったもんじゃない。水滴の大群は、もはや物体としてぶつかってくる。打ちつけてくる。アスファルトにはしみこまず、コンクリートにはなじまず、流れができる。


 ここ数日、雨が降ってうれしい。雨の日に部屋にいると、ほっとする。とくに、降り出しを見たり聞いたりするのが、ぜいたくでとても好きだ。傘をさして外を歩くのもすてきだが、わたしにはしっかりした骨組みに厚手の生地でできた理想の傘も、たのもしいゴムでできたすべりにくい雨靴もない。あるのは軽量折りたたみ傘のみ。また、天気予報を見ずに外出し、傘なしで濡れネズミとなって走って帰ることしばしば。管理人さん夫妻はそんなわたしを、しかと見ていた。

 こんど、雨具をしっかり装備して、いろいろな場所で雨を堪能するのはどうだろう。なんだかそれも、よさそうな気がしてきた。