初秋に

 昼過ぎから部屋を出て、オープンカフェで手作りハンバーガーをオレンジジュースと食べて、ぐるっと散歩してから、自転車屋で空気入れを借りて自転車のタイヤに空気を入れて、図書館に寄って写真集を見て、夕方帰ってきた。数時間前は乾いた空気とあわい日ざしに透けた緑がやさしく、帰りはしんと暮れなずんで深緑だった。

 夏が終わってしまった。

 味わいつくした夏、名残惜しい夏、終わってせいせいする夏、とくに感慨もない夏、これまでどれも経験したような気がする。いろいろな夏のバリエーションがブレンドされて、なんともいえない苦い夏だった。わたしの好きなコーヒーのような、夏。でも、これまででいちばん、と思った味ではないな。

 初夏は、こころが重かった。そんなになるまで放っておいてはいけなかったと思う。自分の限界を知った。

 とにかくそのころは、いろいろなものと戦い、がんばっていた。いま思えば、自分の中の積年の敵もわらわらと沸いていた。よくもまあ、こんなにいろいろと拵えた(こしらえた)こと。ふりかえると、笑える。さらに、戦うほどに自分に闘志が湧き、おろかな正義感をたずさえていい気になっていた。もはや、自分の頭の中で敵を拵え仕立て上げ戦うことは、趣味の域に達していた。もちろん、悪趣味だ。

 こどものころ、いちど寝れば、いやなことを忘れられた。時が経つと、それがたやすくできなくなっていた。こだわりが強く、頑固になっていた。そうまでして、守るべきものはほとんどなかったから、自分で気づいた時のこっけいさといったら、もう。いまは自分のことを笑えて、こころからよかった。(嗤うではなくてね!)

 単純に、戦う対象を定めて戦い「がんばる」ことで、新しい環境に適応しようとしていた。やるべきことをすり替えていた。不毛な個人戦は、もうやめよう、と決めた。

 自分を適宜軌道修正したり、再構成したりして、生きやすくすることが上手な人が、「生き方上手」というのだろう。わたしはそれが鮮やかにできるような気は到底しないので、痛い失敗のたび直せるところは直すやりかたでやっていければいいや、と開き直っている。大学の時親しかった人に、失敗しないように細心の注意を払うやりかたで生きている人がいて、それにかなり影響されていたけれど、わたしには向かなかった。わたしは、痛い思いをしながらでも思い知って修正していかないと、へんな方向にいくのだ。痛い思いをしたくない、なんて、わたしにとって生きたくないといっていることと同じだ。

 そもそも人生を設計することはできないのではなかろうか。個人の幸せも処世術もひとそれぞれで、他人が言っていることが自分にあてはまるとは限らない。人生がこうしたらこうなる、とわかっているのなら、文学も音楽も劇も絵画も、なにもいらなくなってしまうのではないか。少なくともわたしは、この夏とほうに暮れたとき、文学や音楽や絵画にずいぶん救われた。どこにどう効いたということではなく、知らず知らずのうちに。

 ひとつ言えるのは、これからはなにかをめざして生きていくのではなく、無意識に築いてしまった身のまわりの枠をどれだけはずせるか、ということに意識的になろう、と。それから、自分の言葉でしゃべろう、自分の文を書こう、自分の絵を描こう。