もうひとつの世界のにおいを、さがす

昼間は日差しが強く、暑く、外に出たくなくなるような、いかにも夏という感じの気候から、台風がやってきて涼しくなり、それ以来、しばらく涼しさが保たれている。

東京には、風がある。

どこからどこへ、吹き抜けるのか、わたしは知らないけれど、とにかく風は、ある。


京都の、むせかえるような、湿度と気温とにおい、朝からうるさい蝉の声、ようやくほっとできる夕方、風があるような気がして、蚊に刺されるのを耐えながら夜な夜な歩く鴨川は、ここにはない。思い返す。あそこには、そこに生きてきた人の「なにか」がたくさん残っていた。死んでも残る、なにかの物語。いつか帰ることができるように、と余白の残る場所。それは、なにか実用的な機能を持たせようとして存在するのではなく、そこにあるだけで充実感があり、安定している場所。


一方、ここにいると、どこに行っても、人の匂いがぷんぷんする。
人の匂いのないところや、人以外の生き物やものの匂いのするところを探すのは、むずかしい。
世界が均一であるかのような、この町のつくりや成り立ちに、閉塞感を覚える。
これが、この町の歩んできたプロセスを示すのだろう。

その反動であろうか、情報の流れは氾濫するくらい豊かで速い。
情報は、開放的で多様で、目の前の雑然とした暮らしから、人を解放してくれる。
読む物や音楽、たくさんのコンテンツは、想像力さえあれば人はどこにいても自由であることを、思い出させてくれる。

でも、やっぱり、3次元空間でにおいを受け取って、自由を感じたい。


「いること」「あること」への信頼は、現実的に、揺らがないから。
風がそれを、あそこからここまで運んできてくれてると信じよう。

そんな風に吹かれて、今日も、もうひとつの世界のにおいを、さがす。