同時代を生きる、地方のあなたへ。

仕事、プライベート。
会社、家。

生活。

社会人は、自己防衛のために、物事分けて考えることが多いのだろうけど、
入社してまだ2カ月もたたないわたしが、その枠にとらわれることもない。
名目上、メーカーの新人研修で、日本の地方の工場で実習しただけだが、わたしはそれをもう少し主体的な自分自身の体験としてとらえている。

一か月、日本の地方で、人口5万人の町で、そこで暮らす人たちと向き合い、わたしが感じたことを語ってみよう。

この町で、わたしは、日本の異なる場所で、同時代を生きてきた人たちに出会った。
バブル期に幼少を過ごし、物ごころがつく頃バブル崩壊
阪神淡路大震災地下鉄サリン事件、神戸市児童殺傷事件。
ちょっと古いけど、ジュディマリとかミスチルとか。

わたしは、そこの町の工場で働く人々に、化学や健康に関する相談を受け、自分の知識や技術を提供した。
これは、大学院で学んだわたしの果たしたかった社会的責任だ。
知識や技術を、自分だけ・大学だけのものとせず、かみくだいて説明し、専門家でない多くの人と共有したい。その思いは、たぶん人より強い。なぜなら、わたしの親族は片田舎に住み、大卒が多いわけではないから。わたしは、専門家でない人の気持ちや不安を想像できる気がする。
結果として、大量の化学薬品の暴露の可能性のある現場で働く人が多いだけに、感謝された。不安を話すだけでも、不安は和らぐものだ。
また、わたしが女であることもあり、話しやすいからか、子育ての話も聞いていた。はては、夫婦仲のお話まで。

短い時間のなかで、この町の人たちの核となる部分に近づきたいがために、コミュニケーションを密にとるなか、生まれ育った環境・学歴のちがいとそこに由来する個人の自信や希望について、気になった。
地方で高卒の人は、大卒に比べ、自己肯定感が低いというか、「高卒やし」という漠然としたあきらめや卑屈感があったのだ。
学校教育が押した劣等感のようなものが、大人になってもなお残っているのか、とその深さに気付かされる出来事がいくつもあった。彼らの語る言葉のはしばしに、おそらく彼らの無意識下に、それはあった。「高卒やから」。その言葉は、鋭利な刃物のようにわたしに突き刺さった。
貧困階級出身の自分がたまたま大学院まで進学したから、なおさら、だったのだ。

学校の勉強で劣等感を持たない、またはそれを引きずらないためには、どんな仕組みが必要なのか。
人生いつでも学んで挑戦して成長できる社会がいい。
学校の勉強が出来なかった=バカではない。バカという言葉は、嫌い。
学校はそんなに大切ではない。学ぶ場が色々あることが大切だと思う。


学歴では、ない。学校では、ない。
環境では、ない。家では、ない。スキルでは、ない。土地では、ない。
その人自身。
それを徹底的に知りたいし、見たいし、感じたい。
そういう殻を取っ払ったところにその人自身があると信じ、
その人の核となる部分で繋がれると信じている。


その町を離れ、別れて、東京に帰るとき、
言葉にならない思いがあり、写真を撮った。
写真はトイカメラで撮ったから、きちんと撮れているかわからなかったが、
撮れていた。
その写真を、ノートに貼って整理するうち、自分の気持ちも整理できた。
ぽつりぽつりと記した言葉とともに、そのノートは、職場の休憩室に置いてきた。
今ごろそれを見て、笑っているだろう。

この繋がりは、まだ続いている。


「学校」「地方」という既存の枠組みで、分断されたわたしたち。
地方と都会で、高卒と院卒で、交流は続くのか、という実験。
距離や学歴や性別の壁を、どうしたら乗り越えられるか。
既存の枠組みを、軽やかに飛び越えるか。
言葉やアートで乗り越えられるか。

わたしの、この取り組みは始まったばかり。

ただの一点で繋がっただけかもしれないけど。
わたしたちは、ともにこの時代を乗り切っていけるか。