いま、ここに、わたしは、いる。

東京で、新たな一歩を踏み出している。

これまでの6年間、ずっと京都で過ごしてきた。
京都はわたしの故郷でなく、はじめて親元を離れての寮生活を送った。
京都生活では、勉強と研究が、一応の目的だった。
高校までにできなかった、アルバイトや遊びも沢山したい、いろんな経験をしたい、という思いだった。
振り返ると、遊びもいっぱいして、勉強も結構したと思う。卒業という目標は達成した。

勉強に集中して取り組むための、生活づくりには、困難なことが多かった。
わたしの家は、貧乏だったから。
まず、お金を奨学金やアルバイトで調達して、できるだけ安い所に住んだ。
生活費をなるべく抑えて、遊びのお金を確保したかった。
周りの、お金持ちの学生がうらやましかった。
うらやましいなんて、口に出して言わなかったけれど。

親がいない生活の中、なんとなく心が落ち着かないことや不安なこともいっぱいあった。
周囲の人とのうまくいかなさを感じることもあった。

でも、やっぱり、京都の風景、人、文化などのおおらかさに包まれた、親や学校に縛られない自由は、何物にも代えがたかった。

京都の大きな優しさを感じ、それに包まれていたから、わたしは大学生活を続けることができた。


時間を遡ろう。


7年以上前。高校生のわたしは、東京には心底、失望していた。

そのずっと前から、生活にも、社会にも、失望していた。

息が詰まる満員列車での通学。車内のくだらない吊広告。
小学生の時に起きた暗い事件の記憶。阪神大震災地下鉄サリン事件、淳君殺害事件・・・。


明るい未来なんか、なかった。将来の夢なんて、持ち得なかった。


でも、本が好きだった。


本を読み、考え、想像することは、わたしにとって、最大の自由だった。
とりわけ、高校時代は、保坂和史に夢中になっていた。
わからないくせに、何度も読んだ。
クラスで保坂和史を読んでいたのは、わたしだけだったけれど。

わたしがそのとき共鳴し、今までずっと考え続けていること。

それは、「世界を肯定すること」と、「生きる歓び」。


東京では、「いま、ここに、自分がいること」に充実感を感じられなかった。
自分というものは、常に変化していなくてはならない。
または、環境を常に変えていかなくてはならない。
都市の宿命。

自分は希薄で、環境も希薄だった。その中を、ひたすら彷徨い漂う浮遊感。


でも、わたしは、「いま、ここに、自分がいること」に「力」があるはずだと思っていた。


そのことは、とても「強いもの」だと思っていた。
もっとわかりやすく言うと、「意味がある」と思っていた。
「生きる」ということは、もっと実(じつ)のある、生々しく、地面と触れ合い、葛藤し、渇き、潤うものだと。
自分の実体と世界の実体を、体同士で感じたかった。
一体感や充実感に触れたかった。

もう本を読んで想像するだけでは、救われなかった。

わたしは、京都へ向かった。



時は、今。

京都を離れる新幹線の中では、無様に、涙してたのだけど。
あたらしい出会いもあり、毎日、笑っている。
出社前は、自分で組み立てたトイカメラ二眼レフカメラを手に、都心の自然を、心に刻んでいる。
変わったのは、ジーパンにスニーカーから、スーツにパンプスになったことくらい。

東京も、多様で、田舎で、自然もある。東京の人も、多様で、それぞれちがう、「人」であることに気が付いてきた。

「いま、ここに、いる」わたしが、「いま、ここに、ある」東京を、見つけることは、きっと、できる。



生きる歓び。
簡単には、言えない。
時を経て、自分ではそうと気付かぬうちに、そこにあるもの、なのかもしれない。

京都が、ある。わたしは、いる。わたしは、生きている。