ありがとう
できれば、ノスタルジアに陥りたくない。
過去よりも、未来よりも、今。
だから、「ありがとう」を言い続けたい。
今朝、電車に乗って、会社へ向かう道すがら、「あぁ」と、思った。
電車は、時間調整のため、駅で停車していた。
電車の中で、わたしは、シートの端の座席に座り、向かい側の扉から、駅のホームをぼんやりと眺めていた。
朝なのに、もう気温は上がっており、暑かった。まぶしい日差しとすこしあわただしい乗客の姿が、見えていた。
節電のため、車内の冷房は最小限だった。きらきら明るい光のなか、弱い風が吹き抜けた感じがした。
「学生(特に大学)のときの、『世の中からはぐれたような感覚の中で生活すること』は、いったん、終わったんだ」と実感した。
はっきりと、そう思った。
外は、明るかった。もう、やっぱり、夏なんだ。
今のわたしには、朝起きて、電車に乗り、会社へ行き、なすべきしごとがある。
世の中の、もうできあがった大きなプラットフォームに乗っかって、ひっそりと、暮らしている。大多数の一員に、なりきれない部分は、大いにあるとしても。
このできあがっちまっている世界を、少しずつ、少しずつ、肯定しつつある。そういう道のりだ。
「学生生活はよかった。社会人はつらいよ」
なんて、ちがう。
いったん終わった、最高で最低の自由や、よるべない不安と昂揚や。その全てごちゃまぜに詰まった生活に、「ありがとう」。
「ありがとう」という言葉は、一度おわりということで、また先に進むための言葉なんだね。